さいとう矯正歯科クリニック、開院30周年を迎えました

2026年6月18日。

おかげさまで、さいとう矯正歯科クリニックはこの日、開院30周年という大きな節目を迎えることができました。

30年という月日は、文字にすればたった二桁の数字にすぎません。しかし、この数字に込められた物語は、決して二桁には収まりきりません。

今日は少し長くなりますが、この節目に、私のこれまでの道のりを皆様にお話しさせてください。

 



梅雨の雨の中、電話もスタッフもいない――開院初日の記憶

1996年6月18日、当院は梅雨の雨が降りしきる中、静かに開院いたしました。

準備の遅れから電話回線すら繋がっておらず、スタッフもいない。私一人の、孤独なスタートでした。

新築の匂いがする広いだけの診療室で、外の雨音だけが響いていたことを、今でも鮮明に覚えています。

しかしその日、雨を突いて3名の初診患者様が来院されました。

若かった私の言葉を信じ、後に全員が矯正治療を決断してくださった――あの劇的な出会いこそが、現在の当院の確かな原点です。


「矯正歯科」が”特殊な治療”だった時代

開業当時の話をする上で、もう一つ外せないことがあります。

それは、当時の「矯正治療」に対する世間の認識です。

今でこそ、歯並びを整えることは健康維持・予防医学の観点からも「誰もが知っている一般的な治療」として定着しています。街を歩けば矯正装置をつけて笑顔を見せる人に当たり前に出会える時代になりました。

しかし1996年当時は、全く違っていました。

「歯並びを治すために、健康な歯を抜くことがあるのだろうか?」

「あんなワイヤーを何年もつけて、一体どんな苦行なんだろう……」

心理的なハードルが途方もなく高い時代。認知度が低いということは、それだけ患者様をクリニックにお迎えすることが難しいということでもありました。

それでも私は、こう信じていました。

「美しく機能的な歯並びは、人の人生を劇的に変えることができる。」

地道な一歩を重ね、少しずつ信頼していただき、患者様の笑顔が増えていきました。

「先生、ありがとう」と、装置の外れた綺麗な歯並びで笑ってくださったとき――私は確かに、若き日に思い描いた「自分のクリニックを持ち、患者さんを幸せにする」という夢の第一章を叶えたのだと実感しました。

 


認定医への道

「開業医として軌道に乗った。さあ、次はどうする?」

私の視線は、すでに次の目標に定まっていました。それが、日本矯正歯科学会「認定医」の取得です。

この資格取得の条件の中で、最もハードルが高かったのが、「筆頭著者として学術論文を執筆し、査読のある雑誌に掲載されること」でした。

日常の臨床だけをこなしていればいい開業医にとって、学術論文を書くとは全く異なる脳の筋肉を使う作業です。

私は、母校である神奈川歯科大学の矯正科で論文を執筆することを決意しました。こうして、「二重生活」が始まりました。

平日は朝から晩まで、クリニックで矯正歯科診療に全力を注ぐ。では、大学へ行く時間はいつ確保するのか。

答えはシンプルでした。「診療が休みの日に、大学に籠る」。

論文が正式に受理された時の達成感は、言葉では言い表せないものがありました。

 


大御所の先生方がずらりと並ぶ審査会場――震え上がった面接試験

しかし、これはまだ「受験資格」を手に入れただけ。いわば、ボス戦に挑むための入場チケットに過ぎませんでした。

本番の審査では、自ら実際に治療を行った10症例の詳細な報告書を提出し、厳格に審査されます。治療前後の写真、レントゲン、石膏模型、数年間の治療経過記録――これらをすべて指定のフォーマットで完璧に仕上げる作業も、もちろん深夜や休診日に一人で行いました。

そして迎えた審査当日。扉を開けると、日本矯正歯科学会の大御所・高名な先生方がずらりと居並んでいました。

鋭い質問が矢継ぎ早に飛んでくる中、私はお盆の暑さにも正月の寒さにも耐えて積み上げてきた知識と、日々患者様と向き合ってきた臨床のプライドを総動員して答えました。

20分という時間が、まるで2時間にも、あるいは2秒にも感じられる奇妙な感覚でした。

――結果は、無事に「合格」。

その通知を受け取った時、私の脳内には見たこともない種類の大歓声が響き渡りました。一人の「日本矯正歯科学会認定医」として認められたのだという、深い安堵と誇りに包まれた瞬間でした。


「祝杯をあげた瞬間に現れた」さらなる高い山

「よし、これでようやく一息つけるぞ」と冷たいビールで祝杯をあげていたまさにその頃、学会の内部ではある動きが始まっていました。

認定医よりもさらに上位の資格として、「日本矯正歯科学会専門医(現在の日本矯正歯科学会臨床医)」という制度が新設されていたのです。

「おいおい、ちょっと待ってくれ」と心の中で突っ込みを入れましたが、私の格闘家のような歯科医師魂に火がついてしまいました。

やるからには、徹底的に上を目指す。

翌年、間髪入れず上位資格の審査に挑むことを決意。さらにハードルの上がった「別の10症例」の厳格な審査に再び休診日を返上して臨み――その翌年、見事に合格。

2年連続での審査合格。

この結果を知った瞬間、私の脳内からはそれまでの人生で分泌されたことのないレベルの大量のドーパミンが噴出しました。あの信じられないほどの全能感と嬉しさは、私の人生における最高のハイライトの一つです。

あの味を占めてしまったからこそ、私は今でも挑戦を止められないのかもしれません。

 


父の背中を見て育った息子のこと

少しプライベートに目を向けさせてください。

私には一人息子がいます。父親の背中を見て育ったのか、あるいは職場に転がっていた怪しげな歯の模型をオモチャにして育ったせいか(笑)、彼もまた私と同じ道を志すようになりました。

彼は無事に、私の母校でもある神奈川歯科大学を卒業。そして、親の贔屓目を完全に排除しても驚いたことに、「最も若い年齢(ストレート現役)」で歯科医師国家試験に合格するという快挙を成し遂げたのです。周囲からは「さすが先生の息子さん」「教育の賜物ですね」などと言っていただきましたが、これは私の手柄ではありません。

彼は彼自身の力で、自らの人生の第一関門を突破しました。

一人の先輩歯科医師として、私は心から彼の努力をリスペクトしています。

 


30年間、ありがとうございました。

振り返れば、1996年の開業までの道のりは「夢に向かって突っ走る華やかな人生のドラマ」でした。

しかしいざクリニックを開業し、この城を守り続けてきたその後の30年間は、実に地道で、長い道のりでした。

毎日の診療の中で患者様の小さなお悩みに耳を傾け、ワイヤーを曲げ続ける日々。日々の臨床で得た知見を講演会で発表し、若手歯科医師のためのセミナーに教壇に立ち、地方での講演活動も行いました。ありがたいことに、一度だけ海外の学会からも招待され、講演をさせていただく機会も得ました(あの時も、お盆の大学並みに緊張で冷や汗をかいたものでした)。

そうしたすべての経験、すべての出会い、すべての汗と涙の結晶が、この「さいとう矯正歯科クリニック」という場所に詰まっています。

ここは単なる「職場」ではありません。私の30代、40代、50代のすべての情熱と、生き様と、意地が注ぎ込まれた場所です。大袈裟ではなく、このクリニックは完全に「私の人生そのもの」です。

私の人生の残り時間は、若い頃に比べれば確かに少なくなってきたのかもしれません。けれど、仕事のスピードを緩めるつもりはありません。

これからの人生の旅路も、「さいとう矯正歯科クリニック」という最高の相棒と共に、一歩一歩、泥臭く、そして最高にかっこよく歩み続けてまいります。


30年間、本当にありがとうございました。
そして、これからの「さいとう矯正歯科クリニック」の新たなる挑戦を、どうぞ特等席で見守っていてください。

 


横須賀市久里浜 さいとう矯正歯科クリニック 院長 齊藤伸雄

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