歯科衛生士:斎藤
私の生まれは野比で、生粋の横須賀人です。
高校卒業後、日本女子衛生短期大学(現湘南短期大学)に入学しましたが、目的は歯科衛生士になりたい訳でなく、短大卒業は他の学校に進学しようとしていましたが、たまたま神奈川歯科大学付属病院に就職が決まり、歯科衛生士の道へ進みました。
付属病院では私は子供が好きだったので、「小児歯科」に配属されることを希望しましたが、「補綴(ほてつ)科」に決まりました。
補綴科というのは、入れ歯やブリッジなど、失った歯の部分を人工的に補修することが主な仕事で、今の仕事とは正反対の仕事をしていたのです。
入れ歯という言葉から想像出来るように、患者さんのほとんどは高齢者で、本当に優しい方ばかりでした。そのような患者さんに対し、私はブラッシング指導や、入れ歯やブリッジのメインテナンスを教えるという仕事を通じ、高齢者のための医療を支えているという自信がありましたし、大学病院で恐くて優秀な先生の下で働くことは、大変ではありましたが充実した毎日でした。
その後、斎藤伸雄と一緒になることになり、そのままさいとう矯正歯科クリニックのスタッフとして働くことになりました。
主人の斎藤伸雄と出会ったのは、短大生時代でしたが、当時は顔をと名前が一致するような存在で、まさかその後結婚するとは思ってもいませんでした。
久里浜で斎藤が開業することになり、私の家からも近いこともあって、たびたび医院の設計やスタッフ教育などで、相談を受けました。
驚いたことに、女性が働くという事を完全に無視した設計だったので、私は多くの改善点を提案させていただきました。 結果的にさいとう矯正歯科クリニックは女性にやさしいクリニックにできたと思います。
そのような経過もあり私達は一緒になりましたが、斎藤から「さいとう矯正歯科クリニック」で働いて欲しいということを提案されたとき、私は返事を躊躇してしまいました。
大学病院での仕事に「やりがい」を感じていましたし、大学には尊敬する先生方や、多くの同僚がいたからです。それに大学病院の矯正科では、理屈っぽく、暗い先生ばかりで、歯科衛生士の中では矯正治療に対するイメージも、正直いいものではなかったです。
「歯医者なのに、虫歯も治療しないなんておかしい?装置の種類や器具の名前を覚えるのが大変!」と言い出したらキリがないですが、大学での仕事を続けたかったのです。
主人のごり押しで、さいとう矯正歯科クリニックでの仕事をすることになり、当初は患者さんの数も少ないので、数年間は他のスタッフなしで夫婦のみで働いたこともありました。
ここでの仕事を続けるうちに、「歯医者は恐いところなのに患者さんが楽しそう。患者さんとこんなに仲良しでいいの?今までは歯を失った方に対する治療だったけど、これからは歯を失わないようにする治療が大切。」とだんだんとやりがいを感じてきました。
主人の提案する「親しみのある楽しいクリニック」という意味も最初は「??」でしたけど、矯正治療では、それが必要不可欠なことも理解できました。
出産をきっかけに私は歯科医療にたいする考え方が変わってきました。
私は笑えないほど口の中がギラギラで、大学病院に勤務していた時、治療していただいた先生に「顔に似合わずすごい歯だね」と言われ悲しい思いをしたし、むし歯の痛みで眠れない日があったりしましたから、子供の歯を守るために、患者さんの歯を守るため頑張っています(^^)v。
このような私と同じ思いをしているお母様方がとても多く、私と同世代のお母様達に頼りにされ、私がこの「さいとう矯正歯科クリニック」で働く意義を強く感じるようになりました。
今では主人に強引に働かされていることも、ほんの少し感謝しています。
今は子育てと仕事で忙しすぎる毎日ですが、患者さんの笑顔や、お母様の笑顔を見て、今後もこの仕事を続けようと思っています。